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「老人社会」 職場に向かう道すがら、バスに乗ろうとしたら、二人の老人が手をつないで ステップに上がろうとしていた。夫婦であろう、おばあちゃんは重症のボケ症状を 呈し、おじいちゃんは歩行もおぼつかないほどであった。 その二人が手を取り合って一生懸命、バスに乗り込む姿は微笑ましいと言うより 哀れであった。どちらが患者さんかわからないが、小生が勤務するキャンパスに ある阪大病院に受診に来たのは確かであった。 昔はこんな光景は少なかった。必ず元気な家族が付き添って、受診に来ていたし、 弱者の周囲には誰かが手を差し伸べていたものだ。 「老齢社会」を象徴する光景であったが、いくら政府が金銭的に援助をしても 人的援助のない現代社会ではこのような老人が幸せに生きていくには過酷であり、 将来の自分に照らし合わせて、空虚な気持ちにさせられた。 また、小生の自宅近くに住む人で、定年後もずっと電車に乗り続けている 老人がいる。きちんと背広を着て、ある駅で降りるのだが、行き先は公園だ。 この方は定年前まで、大きな企業の部長経験者で、まさに仕事の鬼として、会社と 家族を支えていたが、家族から「おじいちゃん、家でブラブラしないで仕事探して 来たら?」の一言で、人生の終幕を自宅でゆっくり過ごすことも出来ず、毎日、 「仕事に行く」と言って、定期券まで購入して、最寄の公園で終日を過ごすことに したそうだ。何十年も働いて来て、「ご苦労様でした」の一言もなく、ゴミ扱いで 家を追い出されるその方の気持ちを考えると、「家族」とはいったい何だろう? と考えさせられる。結婚、子育て、教育、のマニュアル社会で人生の先駆者である 「老人」を粗末に扱う現在の社会構造は異常だと思うし、このような姿を若者に 見せて自分達が老人になった時に同じ処置を取られても平気なのだろうか? この話はご本人から直接、電車内で聞いたことで、信じられないことであるが、 つい、数年前まで小生が自治会会長をしていた時に活躍してくれたその方の明るい 姿とは隔絶の感があり、途中の駅で降りて行かれた後姿には哀愁が漂っていた のが悲しかった。 「エッセイ集」トップへ戻る |